ここ東京は桜満開の春ですが、
田中宏和さんも田中宏和さん以外のみなさんもお元気にお過ごしでしょうか。
田中宏和運動をはじめて19年目、
自分以外の田中宏和さんと会いはじめて10年目の2013年、
103人目の田中宏和さんにお会いしてきました。
場所は業務で出張先の沖縄県は那覇市。
「沖縄出張」というと周りからうらやましがられる訳ですが、
滞在中は半径2キロ程度をうろうろしていただけで、
青い海は遠目に見ただけのリゾート感皆無の旅行中、
一服の清涼剤として新たな田中宏和さんとの出会いがありました。
現在は那覇のお隣の浦添市にお住まいの、
わたくしの同年代の朗らかな田中宏和さんにお迎えいただきました。
ちょうど一年前に沖縄に出張で来た際に仕事で出会った人から
わたくしの趣味も知らないにも関わらず、
親切にも「同じ名前の人を知ってますよ」とのお申し出を受け、
「いや実は」と田中宏和運動を開陳して
同姓同名さんの連絡先を教えていただいていたものですから、
ご新規の田中宏和さんに「ようやくお会いできました」と言っていただけて、
田中宏和としてはうれしかったです。
もともとは名古屋のご出身。
転職支援の会社にお勤めだったので、転職に対する対抗が無く、
結婚を機に今後の増えるだろう家族のことも考えて、
14年ほど前に沖縄県に移住されたそうです。
さらっと書いておりますが、これは大変な決断だったと思うのです。
わたくしのように大学を卒業して
同じ会社に20年以上も勤めているものからすると、
会社を辞める、さらに移住するというのは、人生における革命ですよ。
「仕事はどうにかなると思いました」とは、
さすがいろんな人の転職のお手伝いをされた田中宏和さんだと納得しましたし、
(こう書くと自分のことのようですね)、
「どうにかなるさ」を意味する沖縄の有名な方言「なんくるないさ」の風土も
田中宏和さんを後押ししたようにも感じました。
この写真を撮ってくれた店員さんも
この40過ぎのおっさん二人が
同姓同名出会い系デートとも感づかなかったことでしょう。
新田中宏和さんの呼び名、
つまり田中宏和業界内ネームは「琉球の田中宏和さん」となりました。
もう永住して「うちなーんちゅう」化するご決意から
ストレートなネーミングにさせていただきました。
琉球さんに教えてもらったのが、
「うちなーんちゅうは、おしぼりを畳んでコースターにする」慣習です。
たしかに周りを見渡せば、ほとんどの人がこのスタイルを実行されていまして、
ないちゃーでやまとんちゅーであることバレバレなわたくしは、
慌てて真似してみた次第。
奥に映り込んでいるのは、もずくの天ぷらですね。
沖縄料理を肴に泡盛が進みまして、
「琉球の田中宏和さん」との会話も弾みました。
沖縄県恩納村で働いていらした「おんなの田中宏和さん」が、
去年東京に転勤になられたため、
田中宏和全国分布図的には沖縄が空白地だったのですが、
これで最南端の田中宏和さんは「琉球の田中宏和さん」となりました。
沖縄には琉球王国時代から「いちゃりばちょーでー」という言葉があります。
「一度会ったら皆兄弟」の意味です。
今回の沖縄出張で田中宏和運動は、いちゃりばちょーでーだと気づきました。
「沖縄に来られた田中宏和さんはぜひ連絡して欲しい」と
琉球さんは力強くおっしゃっております。
そのうち田中宏和運動全国大会@沖縄もあっていいですね。
南国のビーチを男だらけの殺風景にする破壊的催しになりますが。
103人目の田中宏和さんとの出会いのあと、
気温26度の那覇から飛行機で7度の仙台に向かい、
温度差約20度の移動で次の仕事を行いました。
仙台と言えば、震災前にはメールでやりとりをしていて、
震災後にお会いして田中宏和同姓同名ソング第2弾「名前さえあればいい」を
一緒につくった「消防の田中宏和さん」です。
イベント実施の当日、休みの日にも関わらず、
カール・ルイスを一目見に会場にやって来られました。
今回、沖縄から宮城への地方出張の6日間で
2人の田中宏和さんとお会いできました。
「いちゃりばちょーでー」の精神で
引き続き田中宏和運動を展開して参りたいと思っております。
全国の田中宏和さん、次の出張地が決まったらお知らせしますね。
ほぼ幹事の田中宏和拝