日本テレビ『スッキリ』での募集と、長年にわたりタナカヒロカズ関係者のみなさんに抱く申し訳ない気持ちについて。

先日9月9日の重陽の節句の朝、
この田中宏和運動の話題で、
日本テレビ『スッキリ』の8時からのオープニングトークにリモート生出演しました。
それにいたる経緯と放送中に言えたこと、
生放送の尺におさまらず言えなかったことは、
記録として、
“『スッキリ』生出演で言いそびれた〜”「がんばらなくても世界一」という事例をつくりたい。”
に凝縮したのですが、実際は少々長いですが、
こちらをお読みいただけたらうれしいです。

ここ10年ほど、もやもやしていることを書きます。

『スッキリ』は平日朝のテレビ地上波の人気番組ですので、反響が大きく、
友人知人からは「朝からびっくりしました」「しばらく会ってないうちに太りました?」とか続々連絡が入り、
出演から1時間ほどでTwitterでの話題まとめページができました。
さらに『スッキリ』でキネス記録達成に協力しますと、
番組ホームページでの「田中宏和さん(ギネスのルール上、漢字表記は問わずのタナカヒロカズさん)」の募集を呼びかけていただけることになりました。
当日の番組エンディングの10時20分頃には7人の田中宏和さん情報が寄せられ、
お昼の12時時点で13人の田中宏和さん情報の応募があったと担当ディレクターからお聞きしました。

やはり地上波テレビの影響力って大きいなと実感しつつも、
この影響力がゆえに嫌な思い、不快な気分を抱いていらっしゃる、
巻き込まれ型のタナカヒロカズ関係者もたくさんいらっしゃるだろうなと毎度想像するのです。
振り返ると、
オリジナル楽曲『田中宏和のうた』をリリースして、
書籍『田中宏和さん』を出版した、2009年から10年頃からですね。
何事も話題になったら、
ポジティブな反応、ネガティブな反応はつきものだと実感します。
実際、「名前が田中宏和だからと言って声をかけるのはやめてくれ」、
「なんで参加しないといけないんですか?」と、
田中宏和さんからダイレクトにご意見を受けとめたケースもあれば、
「田中宏和運動のことを周りから言われて面倒で、嫌だ」と田中宏和さんがおっしゃていると、
間接的に知るケースもありました。

仮に自分が「鈴木一郎」だったら、
初対面で名刺交換した時に、
「イチローさんと同姓同名なんですね?」と言われて、
「いや、向こうは『一朗』で漢字が違うんです」と毎回答えるのは感じ悪いでしょうし、
「マリナーズのイチローと違って、
うちのイチローは駄目だな」と学校や会社で言われると思うと、
面倒くせー名前だなと常に感じるはずです。

”田中宏和”という記号をめぐっての距離の遠近感はもちろんあると想像しておりますが、

「またテレビでやってたね」「え、田中宏和の会に参加していないの?」と言われる、
田中宏和さんたち。
「惜しいね、田中宏和運動に乗れないの?」とツッコマれる、
田中弘和さん、田中浩和さん、田中博一さん、田中和宏さん他、多数のタナカヒロカズさん、タナカカズヒロさんたち。

この方々の存在を常に意識して、運動を運動させていた10年間でもありました。
「田中宏和運動」は、「表現の自由」です。
以上、終了、と言うには憚れる、
強すぎるこの影響力をどう考えるか。
「タナカヒロカズ」関係者の方々には、
純粋にわたくしの好奇心、探究心でやってます、
ごめんなさいとお伝えしたいです。

わたくしは、この「田中宏和運動」について、
「哲学」を格闘する場と考えています。

「名前」という、
人間の自己同一性、アイデンティティを束ねる記号が、
「同姓同名の他者」との出会いで、どのように変質するのか。
人にとって「同一性」とは何か?

自分では決められない「名前」という記号が、
たまたま「同姓同名の他者」と出会うことで、どのような関係性が生まれるのか。
人にとって「偶然性」とは何か?

この二つの問題系を巡る思索と実践が、
わたくしにとっての「田中宏和運動」です。

先にご紹介したnoteの記事で、
がんばることを美徳とし、強制するような圧が高い今の世の中において、
「がんばらなくても世界一」という脱力した見本をつくってみたいと述べました。
自分で選んだわけではない、親から与えてもらった名前で、世界一。
どんな人も「世界で唯一の存在」になれるということの証明ができたらいいな。
生きていること。それだけの価値を認める社会でもあって欲しい、と。

世界では、やれタイバーシティだ、インクルージョンだと喧しく価値観だけが謳われてますが、
それを実証実験してみるぞという気分でもあります。

この10年間で「亡くなった田中宏和さん」のことも考えます。
田中宏和運動の関西地区忘年会には参加されていて、
わたくしに会いたいと言ってもらっていたのに、
お会いできずに亡くなった「酒の田中宏和さん」。
最初にお会いした時に大阪梅田の居酒屋で、
ご本人が乗る車椅子を持ち上げて階段を上り、
2017年の全国大会では自ら大阪から車を運転して3世代で東京渋谷の会場に現れた、
「ミニバンの田中宏和さん」。
今年の4月に新型コロナウィルスのために急逝されました。
お悔やみのお電話をご実家にかけ、
お母さまから
「宏和は、田中宏和運動が好きでした。わたしも楽しかったし、うれしかった。
応援してますからギネス記録目指してかんばってください。
田中宏和の会は、続けてください」と、
逆に励ましていただきました。

また2年前には、「息子を『宏和』と名づけました」というメールを
知らない田中さんから受け取った時は、
「ついに!」と飛び上がるほどうれしかったです。
お父さんお母さんは、田中宏和の会の存在を認識した上で、
最初のお子さんの名前を「田中宏和」にされたのでした。

「どんな人も死ぬ。」
この当たり前のことを幼い頃から強く意識してきた、
ライトタッチな実存主義者としては、こう思うのです。

この世に生きた!
その痕跡が、尊い。
「自分の名前」と言うけれど、
名前は自分の所有物ではない。
名前は借り物である。
名前は自分のものでは無い。
公共財としての名前を借りて、
今、生きている。という感覚を大事にしたい、と。

 一般社団法人田中宏和の会の定款では、
「人は誰でも、ちょっとしたことで仲良くなれる。」を掲げています。
「名前が一緒というだけ」でも、人間は仲良くなれる。
人と人が分断されがちな時代において、
ちょっとした「同じ」さえあれば、人は心を通わせ、つながれるということを証明する、
田中宏和運動は社会実験でもあると考えています。

個人データの収集が進み、
アルゴリズムの精度が上がり、
AIによって行動を「必然」として予測されてしまう、
機械的決定論の時代において、
ますます「偶然」と戯れることが人間的な愉しみになるとも考えています。

いまだ会えぬ田中宏和さん、田中弘和さん、田中博一さんなどなどの
タナカヒロカズさんとの出会いを楽しみにお待ちしています。

たまたま、同じ。
この現世での一回性をともに楽しめたらうれしいです。

番組ホームページでは、
出演から1週間の9月16日まで募集の掲載をしていただけるようです。

ということで、気分的に「スッキリ」しました!

ほぼ幹事の田中宏和拝

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