いつの間にか今年も12月。 毎年夏になると「今年は暑い」と言い、冬になると「今年は寒い」と言うように、 12月になると「今年は早い」と言う平凡な暮らしをしておりますが、 なぜかここのところ毎年11月はメディアに出がちです。 去年は11月の一週間の間に日本テレビ系『月曜から夜ふかし』と NHK総合のデータなびの日本人の名前特番で取り上げられました。 そして、今年もまずは11月17日にフジテレビ系『めざましテレビ』の ここ調コーナーの取材を受けました。 http://fcs2.sp2.fujitv.co.jp/textCorner.php?cKey=1
いかにもお鉢が回ってきそうな企画です。ただ今回は事情により取材を受けられず、 この4名の田中宏和さんに対応していただきました。
続いて田中宏和運動の作品も次々と紹介され、 この記録の紹介まで! 5分以上の紹介の締めくくりはこれ。 やはり視聴率で9%を取る全国ネットの影響力って大きいものでして、 twitterの「田中宏和」タイムラインが賑わっておりました。 あれよあれよと「田中宏和」が急上昇ワードになっていました。 有難いことに新たな田中宏和さんからの連絡もいただいたその日、 実はすでに別の田中宏和さんと初めてお会いする約束をしていました。 大阪から出張で東京に来られた田中宏和さんと東京駅近くの沖縄料理店で初対面しました。 五年前から田中宏和運動の関西集会には参加されていたそうです。 当時は「大学生さん」と呼ばれていました、とのこと。 いまは障がい者のグループホームの運営をする25歳の田中宏和さん(「彼女募集中」と 書いて良いそうです)が、好青年過ぎて眩しいくらい。 「ずっと会いたかったです」と言われる、自分が田中宏和さんで良かったと思える瞬間 です。(誤解無きように言葉を添えますと、わたくし男性だけが好き派では無く、女性 のほうがだいぶん好きなことが多い派としての嗜好性でおります。今のところは。) さて、「これから何とお呼びしましょうか」と113人目の田中宏和さんに聞き込みを開 始すると、「高校の時にフェンシングをしてました」と。「ひょっとして高校は鳥取? 」「そうです」「えーっ、昔、鳥取の高校生でフェンシングの強い田中宏和さんがいま す、と同級生からメールもらったことありますよ」「全国大会に出でました」「それだ ! ”フェンシングの田中宏和さん”にしましょう」
”フェンシングの田中宏和さん”によると、愛知県が本拠地のラーメンチェーン風見鶏の 社長さんが田中宏和さんで、店によっては「宏和のラーメン」というメニューがあるそ うじゃないですか。 確かにありました。しかし、このネーミングセンスは一体・・・、でも用心深く大阪の 阿倍野に食べに行きたい! https://tabelog.com/osaka/A2701/A270203/27079641/
こんど愛知県に新設されるグループホームの運営に異動されるらしく、名古屋にお住ま いの田中宏和さんと友達になりたがっていらっしゃいました。名古屋と言えば「栄の帝 王」を自称する「不動産の田中宏和さん」をまずは紹介したいものの、ちょっと刺激が 強いかなぁ。名古屋の田中宏和閥でのフェンシングさんのご支援をよろしくお願いしま す。 新しい田中宏和さんに会うたびに、人生にはいろんな物語があるものだなぁと感心しま す。当たり前のことですが、人の数だけ多様性があるんですね。田中宏和運動のおかげ で世の中勉強になることばかり。有難や、有難や。
そして、その翌日の11月18日に朝日新聞の北海道版で田中宏和運動が記事になりました。 この夏、北海道在住の二人の田中宏和さんと初対面したことに興味を持たれた北海道の 記者の方から連絡をいただき、札幌の「サブスリーの田中宏和さん」と「室蘭の田中宏 和さん」をご紹介したところ、記事になるとは伺っていたものの、何しろ報道で、しか もこちらは暇ネタ扱いなので、いつ出るか直前までわからなかったのですね。北海道版 紙面のローカル記事になるものとばかり思っていたら、デジタル時代怖っ。朝日新聞デ ジタル版の見出しだとトランプ大統領と並んでしまうという2016年です。 さらに担当していただいた関根記者に掲載紙を送ってもらったら、 眼が飛び出る大きさでした・・・。 この記事が出た翌日ご連絡をいただき、その2日後の11月21日に114人目となる田中宏 和さんとお会いしました。金沢市にお住まいの田中宏和さんです。 待ち合わせはやはり東京駅近くでわかりやく有名な書店の入口。ロマンスグレーの白髪 の方が立っていらっしゃいました。「あの、田中宏和さん?」と恐る恐るをお声がけ( 自分も田中宏和なんですけど)。 定年退職されたばかりという60歳の田中宏和さんは「会社を辞めたら連絡しようと思っ てました」と、第二の人生の目標になっていたとは光栄なことです。趣味で蕎麦打ちの 修行もされているとか。蕎麦ラブのわたくしとしてはうらやましい限り。さっそく田中 宏和運動ネームといて「蕎麦打ちの田中宏和さん」を提案するも、「本業で食っていけ るとは思えないので」と慎ましくご辞退されました。「現在就活中」(本人談)で、昨 日から用事があって奥様と二人で東京に旅行に来られて、「今、妻は待たせています」 と。思わず、思わず「申し訳無いので奥様もお呼びになったら」と言ったものの、初対 面で他人の田中宏和さんと旦那様の田中宏和さんと三人で会う羽目になる人の身を想像 するに、激しい混乱、動揺が予想されます。永年勤め上げられた地元の小売業のお話の 合間に「妻は実はお客様の娘だったんです」と聞くと、ますます興味が出ます。という か、「これから何の田中宏和さんとお呼びすればいいでしょうね?」と言いながら、お 目にかかって15分程度で北陸新幹線や趣味、仕事の話、さらにご家族の深いお話など聞 いていたら、「そんなことでマスオさんなんです」「あ〜、それは大変でしたねぇ」と 相槌を打ちつつ、「えっ、じゃあ『マスオさんの田中宏和さん』でいいんじゃないです か?!」と。こうして田中宏和集会では“マスオさん”と呼ばれる田中宏和さんが誕生し ました。 めでたく時節柄クリスマスツリーの前で「マスオさんの田中宏和さん」と記念のツーシ ョットを撮りました。 わたくしもふと自分の今後のキャリア形成について考えたくなる、30分程度の短く濃く 、為になる時間でした。マスオさん、ありがとうございました。今度は13年前に「ほぼ 日刊イトイ新聞」を見てメールをいただいていたという奥様もご一緒に! 実際のところ、昨日行われた田中宏和運動の関西地区での恒例の忘年会では6名の田中 宏和さんと奥様もお一人参加されたとか。もう親戚づきあいに近いですね。運動をはじ めたわたくしの手も離れ、田中宏和運動がAIに操作されて自律的に動いてる気すらしま す。しかし、田中宏和AIによる田中宏和ロボットが出会う運動へと変貌を遂げるシンギ ュラリティ・ポイントはこの運動には無く、あくまで人間田中宏和による人のご縁、一 期一会を大切にするムーブメントとして、自然に成長して行ってくれればと願うばかり です。今年もそろそろ来年の田中宏和同姓同名年賀状を考える時期になりました。 慌ただしい年末、田中宏和さんも田中宏和さんで無くても、どうかお身体ご自愛の上、 楽しいひと時をお過ごしになりますよう。 ほぼ幹事の田中宏和拝