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田中宏和運動の歴史

1994年 秋
はじまりは、プロ野球ドラフト会議。「ほぼ幹事の田中宏和」が、近鉄バッファローズの第一位指名 田中宏和(奈良県桜井商業高校3年の投手)と知り、衝撃を受ける。昭和の野球漫画を愛し、日本人選手がいない頃から大リーグに憧れていた身としては、伊東(パンチョ)一雄さんから「第一位指名 田中宏和」と朗々と読み上げられることは、生涯の夢。たまたま「田中宏和」という同じ名前を持つ、野球がすごくよくできる他人のおかげで、25歳にして叶えられる。この不意打ちの僥倖を面白がり、「近鉄一位指名の田中宏和さん」を年賀状の題材にしたことから、同姓同名の追究が開始された。
1995年 元旦
「ほぼ幹事の田中宏和」が、田中宏和ネタ年賀状をはじめて発送する。


1995年 1月
「ほぼ幹事の田中宏和」が、なにげなく買い求めた文芸誌『文学界』(文藝春秋)新年号の書籍広告にて、『文芸読本』を上梓した田中宏和さんの存在を知る。立て続けに起こる「田中宏和シンクロニシティ」に目眩を覚え、同姓同名ネタ年賀状のシリーズ化がこの瞬間に決まる。

1996年 元旦
「ほぼ幹事の田中宏和」が、第二弾「『文芸読本』の作家の田中宏和さん」篇の年賀状発送。



1996年 11月
「ほぼ幹事の田中宏和」が同姓同名の発見することなく年が過ぎていくことを憂いていた時期、車の購入のため銀行に融資を受けようとしたところ、「1969年1月21日生まれの田中宏和」であるがために、審査が通らないという事件が起こる。ことの顛末は、翌年の年賀状となる。

1997年 元旦
「ほぼ幹事の田中宏和」が、第三弾「1969年1月21日生まれのもうひとりの田中宏和さん」篇の年賀状発送。



1997年 4月
「ほぼ幹事の田中宏和」が、会社の先輩から“子供がクラス替えになってできた田中君の下の名前が宏和だった”と打ち明けられる。

1998年 元旦
「ほぼ幹事の田中宏和」が、第四弾「小学生の田中宏和さん」篇の年賀状発送。


1999年 元旦
前年にポケモンムービーが大ヒット。「ほぼ幹事の田中宏和」が、前々からその存在を知っていた、「田中宏和界のセレブ」を取り上げた、第五弾「ポケモンの田中宏和さん」篇の年賀状発送。のちに「作曲の田中宏和さん」として会うことになるとは、この時思いもよらなかった。

1999年 3月
「ほぼ幹事の田中宏和」が、会社の後輩から“今日、『ズームイン朝』に出てましたね”と通報を受ける。

2000年 元旦
「ほぼ幹事の田中宏和」が、第六弾「豪商田中本家の12代目の田中宏和さん」篇の年賀状発送。


2000年
「ほぼ幹事の田中宏和」にとって、「田中宏和運動」停滞のミレニアムとなる。ついに20世紀とともに同姓同名ネタも枯渇かと観念した年末、祖父が他界する。

2001年
「ほぼ幹事の田中宏和」は、「田中宏和運動」にインターネットという技術革新を導入する。

2002年 元旦
「ほぼ幹事の田中宏和」が、第七弾「インターネット内の田中宏和さん」篇の年賀状発送。



2003年 12月30日
「ほぼ幹事の田中宏和」が、『ほぼ日刊イトイ新聞』にて、糸井重里さんのバリ旅行のため、正月留守番番長を拝命する。http://www.1101.com/2003_NEWYEAR/
021230_tanaka_hirokazu/index.html

その企画の中で、これまでの年賀状を紹介する「田中宏和・年賀状の軌跡」http://www.1101.com/2003_NEWYEAR/021230_tanaka_hirokazu/card.html
を世に問うたところ、多大なる反響と何名か田中宏和さんからのメールをいただくという、「田中宏和運動」の第2ステージ、「田中宏和ビッグバン」が起こる。

2003年 元旦
「ほぼ幹事の田中宏和」が、第八弾「田中宏和邸跡の田中宏和さん」篇の年賀状発送。



2003年 12月
「ほぼ幹事の田中宏和」が、『ほぼ日刊イトイ新聞』の企画でメールをいただいた田中宏和さんのうちから、一番会いやすそうな田中宏和さん(「渋谷の田中宏和さん」)と「田中宏和運動」史上初の田中宏和同姓同名同士の面会を果たす。http://www.1101.com/e_tanaka/2004-01-01.html

2004年 元旦
「ほぼ幹事の田中宏和」が、第九弾「渋谷の田中宏和さん」篇の年賀状発送。


2004年 6月
「ほぼ幹事の田中宏和」が、朝日新聞の土曜版『be』「こだわり会館」で館長役をつとめる荒俣宏さんに年賀状の存在を思い出していただき、館長の推薦により、同姓同名集めがこだわりの趣味として取り上げられることが決まる。「渋谷の田中宏和さん」と「田中宏和界一番のセレブ」と意見を同じくしたポケモンの田中宏和さん(作曲の田中宏和さん)との「田中宏和3人集会」が実現する。

2004年 7月31日
朝日新聞に取材の模様が掲載される。http://www.be.asahi.com/20040731/W27/0017.html「田中宏和運動のマスメディア進出」の様子は、「ほぼ幹事の田中宏和」が、『ほぼ日』上でもちゃっかり記事化する。http://www.1101.com/e_tanaka/2004-07-31.html この「田中宏和運動」のクロスメディアプロモーション展開により、この後、「2人の田中宏和情報」と「5人の田中宏和さん」からのメールをいただく。

2005年 元旦
「ほぼ幹事の田中宏和」が、第十弾「朝日新聞上の田中宏和さん」篇の年賀状発送。



2005年 2月
「ほぼ幹事の田中宏和」が、『ほぼ日』にメールをいただいたWEB制作会社経営の田中宏和さん(WEBの田中宏和さん)も合流し、「田中宏和4人集会」が開催され、WEBサイトの立ち上げの基本方針が決定される。

2005年 12月
「ほぼ日刊イトイ新聞」の武井さんから、
「新たな田中宏和さんと名刺交換」の情報が入る。
2005年 年末
「田中宏和運動」のはじまりから11年にして、ついに田中宏和.comが始動

2006年 元旦
「ほぼ幹事の田中宏和」が、第十一弾「4人の田中宏和さん」篇の年賀状発送。


2006年 2月15日
5人の田中宏和による第4回田中宏和集会&第1回田中宏和宴会を開催。レコード(仮)の田中宏和さん合流する。以降、「田中宏和の日々」コーナーへ。
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